こんにちは。にしきよです。
本日もよろしくお願いします。
今回の出来事です↓
1.ルワンダ大虐殺について学ぶ
2.アフリカの奇跡とホテルミルコリンズ
1.ルワンダ大虐殺について学ぶ
2023年6月4日のお話
ムラホー!(ルワンダ語でこんにちは)
前回のウガンダからルワンダに移動してきております。
いつものやっときますねー。
第31ヵ国目、ルワンダに入国しましたー。
現在いるのは国土のほぼ中央に位置するキガリという都市。
ルワンダの首都です。
キガリの宿「BLB Motel Kigali」
個室1泊1.2万ルワンダフラン(約1,480円)
ちょっと高めですが宿併設の食堂もあるのは嬉しいです。
この宿、中心地からは離れてて近くにレストランありませんので。
朝ごはーん。
3,000フラン(約370円)
はい!
着いたばかりで早速ですが観光に出かけます٩(゚∀゚)و!
キガリにはバイタクがたくさん走っているので移動には困りません。
そしてそれなりにお手軽な値段です。
バイクでキガリを疾走中。
めっちゃ綺麗じゃありません?
本当にアフリカなのかと思うほど綺麗です。
ゴミ一つ落ちてないキガリの街は「アフリカのシンガポール」と呼ばれるようです。
ルワンダは国をあげて環境保全に取り組んでいる国なんですって。
ビニール袋の持ち込みは禁止されていて国境で厳しい荷物検査がありました。
ぼくも入国する際、予備のビニール袋や衣類圧縮袋が全部ボッシュートされちゃいましたからね…(´・ω・`)
あと走る時にはヘルメットの着用必須なあたりもちゃんとしてますよね。
アフリカでこんなの初めてです。
そういえばその辺にいる人の服装もしっかりしてますし、車・バイクも歩行者優先で交通マナーいいです。
おそらくアフリカで日本人が住める数少ない都市なのではないでしょうか。
ビルが並ぶあのあたりが中心地っぽいですね。
後ほど参ります。
まずやって来ましたはこちら。
「キガリ虐殺博物館」
おそらく多くの方がご存じかと思いますが、
ルワンダではつい30年前に、全国民の20%が命を落とした「ルワンダ大虐殺」という悲劇がありました。
この博物館は大虐殺の悲劇を忘れないようにと建てられた記念館です。
ルワンダに来たからには訪問必須と言えるでしょう。
ありがたいことに入場料は無料でした。
まずはルワンダ大虐殺について簡単にご説明。
ルワンダ大虐殺は1994年にルワンダで発生した大量虐殺です。
多数派でもともと支配を受けていたフツ族が少数派で支配者層だったツチ族を殺害しました。
この虐殺の恐ろしいところは、民間人が民間人を殺したということです。
フツ族とツチ族はそれまで一緒に生活していたために、昨日までご近所さんだった人、中には家族を殺害することを強要されるケースもあったようです。
ラジオなどを使って、「年齢、性別にかかわらずツチ人を皆殺しにしろ」と民間人を扇動し、これに賛同しなかったりツチ族をかばったフツ族の穏健派もまた殺害されました。
正確な犠牲者数は明らかとなっていませんが、わずか100日間の間におよそ50万人から100万人の間、ルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されているようです。
なお、もともとルワンダにフツ族・ツチ族という民族が住んでいたわけではありません。
フツ族・ツチ族というのはルワンダを植民地としたベルギーが植民地支配を容易にするために、鼻の高さや頭の大きさなどで無理やり分けた区分であることに注意する必要があります。
近世から近代にかけて、奴隷貿易や植民地支配に始まり、アフリカにはヨーロッパから様々な負の遺産が持ち込まれることになりますが、ルワンダ大虐殺もその一つということなのでしょう。
非常に簡単ではありますがルワンダ大虐殺についてまとめました。
かなり端折りましたので気になる方は調べてみてください。
↓Wikipediaのページに飛びます↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E8%99%90%E6%AE%BA
ここからは館内の様子を見ていきます。
残念ながら撮影は禁止されていましたので館内の写真はありません。
写真はありませんが、場所の性質上ショッキングな表現を多分に含みますので苦手な方はご注意ください。
展示物はルワンダ大虐殺の歴史的背景から始まり、虐殺当時の写真資料のコーナーへと進みます。
写真は死体が建物内に積み重なったようなものが多かったです。
中には小さい子供の写真や、頭部がナタなどの切れ味の悪い刃物でえぐられた写真、腐敗が進んだ写真など、ショッキングなものもありました。
また虐殺を生き残った人々が当時の様子を語る証言もありました。
写真資料の後は、どのようにして虐殺が終結したかの説明、
そしてルワンダがいかにして虐殺の悲劇を乗り越え復興していったかが示されていました。
・・・・・・
見学終了です。
それほど大きい博物館ではないので、1時間もあれば回れると思います。
改めての感想ですが、
ルワンダ、凄まじい歴史を持つ国なんですね。
大虐殺がおこったのが1994年とわずか30年前。
ほんとつい最近と言ってもいいくらいです。なんならぼくすでに生まれてますからね。
ぼくが日本で平和に暮らしていた裏で、ルワンダではこのような凄惨な悲劇が起こっていたというわけですが、いまだに信じがたいです。
それにも関わらず、わずか30年で復興を果たし現在ではアフリカ随一の優等国となった事実には驚きです。
日本も戦争で焼け野原になった後、急激に復興していく様は外国から驚きをもって見られるようですが、それと全く同じ感じでしょうね。
キガリの街を行く人は服装がきっちりしていたり、交通ルールを守る人が多いように思いますが、日本人とルワンダ人って意外と共通点多いのかもしれません。
2.アフリカの奇跡とホテルミルコリンズ
キガリ虐殺博物館を後にして次はあそこを目指します。
バイタクで移動中。
地図上では近く見えましたがアップダウンが激しいので意外と距離があります。
お次にやって来ましたはこちら。
「ホテルミルコリンズ」です。
ルワンダ大虐殺を描いた映画「ホテル・ルワンダ」の舞台となった場所と言ったらわかる人も多いのではないでしょうか。
超簡単に説明すると、ルワンダ大虐殺当時、フツ族だったオーナーが虐殺されるツチ族の人々をホテル内に匿うという物語です。
そのホテルが現在も老舗ホテルとして営業しているみたいです。
め、めっちゃ高そうなホテルですね・・・(^^;)
毎度毎度そうですが良いホテルって独特の近寄りがたさがあるんですよね・・・
果たして小汚いバックパッカーの分際で入れるでしょうか・・・
ぼく「ど、どうもぉ・・・(^^;)」
ぼく「わ、わたくし実は宿泊客じゃありませんで・・・(^^;)」
ぼく「レストランだけの利用ってできますか(^^;)?」
守衛「もちろんですサー。ようこそ(^^)」
は、入れちゃいました(^^;)
こんな高そうなホテルに入れちゃいました(^^;)
一番安い部屋で150ドル(約21,000円)ですって。今ぼくが泊まってる宿の10泊分の値段ですね。
絶対無理ではないですがバックパッカーの身分には厳しいお値段。
立派なプールもありますね。
宿泊層は白人が半分、また黒人も半分くらいいてちょっと意外でした。お金持ちな黒人もけっこういるんですね。
アフリカっていうと貧困というイメージがありますが、実際のところは富の分布が極端であることが多いんですよね。
レストランどこだー(゚Д゚)?
こっちか。
なんかコソコソしてて悪いことしてる気分です(^^;)
ま、参ります。
ビュッフェ(←今だに発音できない)ってやつでしょうかね。
いくらくらいするんでしょう?どういうシステムかもわかりませんし。
スタッフ「サー、いかがなされましたか?」
ぼく「ハ、ハロー(^^;)メニューはありますか(^^;)?」
スタッフ「メニューはございませんが、ビュッフェ形式が3万フランですよ」
さささ、3万フラン (゚∀。)!?
3万フランって3,700円(゚∀。)!?
ぼく「あのぉ・・・単品で頼めませんかねぇ(^^;)」
スタッフ「あちらのプールサイドならお飲み物のメニューがございますよ」
というわけでプールサイドのおしゃれなバー。
おメニュー。
ふむふむ。
一品だいたい1.6万~2.2万フラン(約1,970~2,460円)ってところですね。
うむ!すみません(゚Д゚)!
ここではデザートだけにします(゚Д゚)!
一番安いバニラ/ストロベリーアイスが4,500フラン(約550円)
チョコレートアイスが5,500フラン(約670円)みたいですね。
おとなしくバニラアイスにしておけばいいものを一番安いの頼むの恥ずかしくてチェコレートアイスにしちゃいました。
ついでにカフェラテ3,500フラン(約430円)もオーダー。
こういうところで変な見栄張っちゃうのがにしきよさんの悪いところです。
チョコレートアイスとカフェラテでーす。
うん、まぁ、おいしいです。
ですがそこまでハチャメチャにおいしいわけではないですね。
アイスとコーヒーで9,000フラン(約1,100円)ですか・・・
アフリカの物価考えると正直激高ですが、あのホテル・ルワンダの舞台となった特別な場所ですのでそう考えると価値ある出費だったということにしておきます。
続いてホテルの周りを散策。
キガリ、本当にすごいですよ。
アフリカとは思えない発展具合です。
ゴミ一つ落ちてないです。
少なくともここまで見てきたアフリカの街で一番綺麗です。
ヨーロッパの街みたい。
虐殺の引き金となった民族問題も今では解決済ですべての民族が別け隔てなく生活しているようです。
すごすぎません?そんなことが可能なのでしょうか。
ルワンダが【アフリカの奇跡】と言われる所以ですね。
こんな事言うと偉そうとか何目線だと言われそうではありますが、悲劇から立ち直ったルワンダの街並みや人々を見ていると「人間の可能性を信じてみてもいいかもなぁ」などと思えてきます。
そんなルワンダの過去と現在を見比べることができた1日でした。
今回の投稿は以上です!
最後まで読んでいただきムラコゼ(ルワンダ語でありがとう)でした!
2023年6月4日 ルワンダ・キガリにて
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