こんにちは。にしきよです。
本日もよろしくお願いします。
今回の出来事です↓
1.アウシュビッツ強制収容所
※本記事はショッキングな画像を多く含みます 。ご注意ください。
1.アウシュビッツ強制収容所
2023年3月17日のお話
チェシチ!(ポーランド語でこんにちは)
第21ヵ国目、ポーランドに入国しております。
現在いるのは「クラクフ」
ポーランド南部にある第3の都市です。
クラクフに来た目的はただ一つ、
アウシュビッツです。
世界一周すると決めた時からここは絶対に外せないなとずっと思っていた場所です。
ご存じの方も多いと思いますが、第二次世界大戦時、ナチスドイツがユダヤ人の絶滅政策を実行した舞台。
そういう背景がある場所ですので、今回の投稿にはショッキングな写真や表現も多く出てきます。
苦手な方は今回に関しては読み飛ばしていただければと思います。
・・・・・・
おはようございます。
昨日深夜にチェコのプラハからポーランドはクラクフに到着、その翌日でございます。
表題の通り本日は「アウシュビッツ強制収容所」に行ってまいります。
重ね重ねで恐縮ですが、ショッキングな写真や表現も多く出てきますので苦手な方はお気を付けください。
アウシュビッツのある場所はクラクフ市街から50km程離れた郊外にあります。
バスターミナルを目指しショッピングモールを通過中。
クラクフ鉄道駅のすぐ横にあるバスターミナル。
2フロア構造の大きいバスターミナルでアウシュビッツ行きは2階にありました。
バスは頻発してるとのことでその場で購入。
片道19ズウォティ(約570円。1ズウォティ=30円で計算)
先人のブログでは12ズウォティとあったので値上がってますね。
よくあることです。
乗っていきます。
ちなみに、行き先が「OSWIECIM(オシフィエンチム)」となっていますがこれはアウシュビッツ(ドイツ語)のポーランド語読みです。
バスで1時間半ほど、アウシュビッツ博物館に到着です。
いきなり重々しい雰囲気。
見学者もいっぱい。
イスラエルの国旗を掲げた学生も多いです。修学旅行先として定番なんでしょうね。
アウシュビッツの見学に関する基本的な情報として、
アウシュビッツという名前が有名ですが正確には「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」
今いるアウシュビッツ博物館(元アウシュビッツ強制収容所)とビルケナウ強制収容所の両方をセットで見学することになります。
ちなみに、多くの人に学んでもらいたいという思いからかその両方が入場料無料です(もちろんガイドを付ける場合はガイド料が必要)。
さっそく参ります。
長い列を並び、荷物検査も通過して、
いざ入場~
・・・と思ったらチケットがいるみたいです。
はて?入場料無料なのにチケットとはこれいかに。
どうやら整理券的な意味でのチケットみたいです。
無事入手できたのですが、
入場できるのが午後3時からというね(今12時)。
まぁこれはぼくが予約なしで来ちゃったので仕方ないですね。
非常に見学者の多い場所ですので限られた時間で見る必要がある人は予約しておいた方がいいですよ。
そんなわけでして先にビルケナウの方に向かいます。
なんとなく、先にアウシュビッツ博物館で学び、その後ビルケナウの現場を見た方がいいのかなぁと思ってましたが仕方ないです。
アウシュビッツ=ビルケナウの両区間は2kmほど離れており、10分間隔で運行しているシャトルバスで移動することができます。これも無料です。
やって来ましたビルケナウ強制収容所です。
ついに来てしまいました。
このゲートは通称「死の門」
みなさんも一度はどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。
ヨーロッパ全土から鉄道で連れてこられたユダヤ人の最終到着地。
そしてご存じの通り、そのほとんどがこの収容所から帰ることはありませんでした。
それを象徴するかのように線路が途切れているこの門の写真はあまりに有名ですね。
ちなみに、ビルケナウに入るのにもアウシュビッツ博物館のチケットを求められました。
アウシュビッツをスキップして先にビルケナウに来ても入れませんのでご注意を。
ビルケナウ、かなり広いです。
現在はほとんどが廃墟になってますが、ところどころ当時の建物の跡が残っています。
見張り台のやぐら?
囚人を連れてくるためのトロッコ。
ここにギュウギュウ詰めで押し込まれ、ここにたどり着く前にかなりの数の人が亡くなったそうです。
ヨーロッパ各地から連れてこられた囚人たち。
ここに連れてこられるとすぐにドイツ人医師による「選別」が行われます。
労働力として価値のある人とそうでない人を選り分けるのです。
子供や老人、ケガをしていたり体力のない人は「価値なし」としてこのあとすぐにガス室に送られ処分されます。
真ん中の杖をついた老人が医師から奥へ進むように指示されている場面。
「価値なし」と判断された人々が送られる場所。
林になっています。
証拠隠滅のためかすでに破壊されていますが、こちらがガス室。
後に博物館で出てきますが、ガス室で囚人殺害のため用いられたのは「チクロンB」という殺虫剤。
囚人たちはシャワーを浴びるためとガス室に連れてこられ、チクロンBによって呻き苦しみながら死んでいったようです。
ガス室で処理した後の遺体を焼却するための焼却窯。
隣には池が。
最初は焼いた後の遺骨は地面に埋めていたようですが、それでは戦争犯罪の証拠として残ってしまうため途中から埋めるのをやめて遺骨を砕き池や沼に流したそうです。
なお、遺体を焼却する作業を行っていたのは施設の職員ではなく、囚人たちの中で比較的高いヒエラルキーに位置づけられていたドイツ人囚人たち。
汚れ仕事に直接手をかけないことで役人たちは罪の意識にさいなまれることなく仕事を続けれたそうです。
囚人たちが収容されていた棟へ。
老朽化のため多くは入場不可となっていましたがその中のいくつかだけは入れるようになっていました。
中にあるのは石と木だけで作った簡易的なベッドだけ。
断熱効果なんてあったものじゃないので冬には氷点下に冷え込んだ中で寝ることを余儀なくされたようです。
(諸説あるようですが)1日に与えられる食事は
朝 500ccのほとんど水
昼 1リットルのほとんど水の腐った野菜のスープ
夜 300-350gのパン、マーガリン3g
過酷な労働を強いられる中でこれだけの量しか与えられずどうやって生きてゆけというのでしょうか。
そもそもユダヤ人を絶滅させることが目的だったため生きながらえさせることすら考えてなかったのかもしれません。
1段に4~5名の囚人が詰め込まれました。
衰弱しきりトイレに行く体力すらない人もいたため、室内は汚物が蔓延し虫や病気の温床となっていたようです。
こちらはトイレ?
間違ってたらごめんなさい。洗面所かもしれません。
トイレが許されていたのは1日2回のしかもごく短い時間のみ。
シャワーにいたっては月一回だそうです。
以上でビルケナウ強制収容所の見学は終了です。
シャトルバスで再びアウシュビッツの方に戻ってきました。
ここからはアウシュビッツ博物館の方です。
まず最初に目にするのはこちら。
これも非常に有名な写真ですね。
「ARBEIT MACHT FREI」
働けば自由になる。という意味です。ご存じの通り、本当に自由になれた人はほとんどおりません。
Bの文字が上下逆さまになっているのは囚人によるせめてもの抵抗とのこと。
ビルケナウほどではないですがこちらもかなり広いです。
敷地内にはもともと収容所として使われていた棟が並んでおり、そのうちいくつかを博物館として開放しています。
展示内容をいくつか。
ヨーロッパのどこからユダヤ人たちが連れてこられたか。
北はノルウェー、南はギリシャまで、かなり広い範囲から連れてこられたのがわかります。
この図を見るとアウシュビッツはヨーロッパの中心に位置してるんですね。そもそもこの地に収容所が建てられたのも、ヨーロッパ各地からのアクセスがいいというのが理由です。
ヨーロッパ各地から連れてこられた人々。
不安そうな顔をしてますが、まさかこの後すぐにガス室送りにされたり強制労働が待っているとは思っていないのでしょう。
ビルケナウで見た写真と被るものもありますが、撮った写真を置いていきます。
中にはかなり凄惨なものもありますのでご注意を。
囚人たちから押収した眼鏡。
ユダヤ人の財産はすべてドイツのものということであらゆる物が没収されたそうです。
かばん。
かばんに文字が書かれていますが、それは後から返すからと言われたためです。
各自、自分の名前やどこから来たユダヤ人であるかをかばんに書き記しました。
義足や杖など。
櫛や服など。
食器類も。
こういうのを見ると本当に新しい土地で生活できるものと信じさせられていたんだなぁと思います。
靴。
通路のもう片方にも同様に山のように積まれています。
子供服。
子供用の靴も。
おびただしい数です。ぞっとします。
山になってるの全部そうなんでしょうか。せめて盛り土であることを願います。
ガス室での殺害に使われた「チクロンB」
ガス室に囚人を押し込み、鍵をかけたところで缶を投げ込み殺害したようです。
囚人たちの写真。
ここにいる人たちは誰一人として生還できなかったようです。
なお、実際にはほとんどのユダヤ人は到着後すぐにガス室送りになったため、何の記録にも残ってない人もかなり多いそうです。
そのため、推定されている犠牲者数も100万から150万人と見積もりに幅があります。
いずれにせよすさまじい数であることにかわりはありませんが。
見せしめのための絞首台。
囚人が逃亡できないように敷地の周囲には高電圧の電線が張り巡らされています。
ビルケナウのガス室は破壊されていましたがこちらのは残っているようです。
(もしくは復元されたか)
ガス室に入っていきます。
ガス室内部。
ひんやりとしてます。
同じ建物の隣の部屋には焼却室もありましたが写真は控えました。
「死の壁」
ここで一体何が行われていたかは想像に難くないでしょう。
昔、「Lifi id Beautiful」というアウシュビッツでの強制労働を題材にした映画を見たことがあります。
その映画を見たのは子供のころだったもので、アウシュビッツという題材であることすら認識せずに見ていたのですが、ラストに近い場面で主人公の父親がこの場で射殺されるシーンだけはなぜか鮮明に覚えています。というかこの壁を見てその記憶を思い出しました。
隣の収容棟の窓は木で覆われています。
ここで何が行われているか見せないようにとのことでしょう。
実際はもっと多くの棟に資料が展示されていたのですが、体力的にもメンタル的にもしんどくなってきたのでこの辺にしときます。
アウシュビッツ博物館の見学終了です。
大変おつれさまでした。
なかなかにしんどい一日でした。
しかし来てよかった。
アウシュビッツについてはネットで調べればいくらでも勉強することができますが、それでも現地で見ることで感じれることも多かったと思いますね。
アウシュビッツには中谷さんという日本人がガイドを
非常に人気がありスケジュールを抑えるのが難しく今回は断念したのですが、願わくば日本語の説明を聞いて理解を深めたかったところです。
今だに信じがたいのですが、この大量虐殺が行われたのってつい半世紀ほど前なんですよねぇ。
カンボジアのクメールルージュによる国民大虐殺の時にも同じことを思いましたが、人間って思った以上に残酷になれるみたいです。しかも簡単に。
アウシュビッツへのユダヤ人移送の責任者はアイヒマンという名の男で後に裁判にかけられるのですが、その裁判を傍聴したユダヤ人女性はアイヒマンについて、「このような残虐なことを行った男なのだから、まったくどれほどの極悪人かと思っていたのだが、そこにいたのはごくごく誠実に業務を全うする公務員そのものだった」と述べています。
強制収容所に勤めていた職員も「ただ命令に従っただけ」と、誰一人として罪を認めることはなかったそうです。
周りの空気や上からの命令があれば、どうやら人間というのは誰であっても簡単に残酷になれるようです。(興味のある方は「アイヒマン裁判」や「ミルグラム実験」で調べてみてください)
当時ナチスドイツが勢力を伸ばした背景には、第一次世界大戦で敗れ国内が苦しくなっている中で、ユダヤ人という自分たちとは異なる存在を敵として恨みをぶつけることでドイツ人の一体感を高めていったという背景があります。
いつの時代も自分が苦しい時は外部のせいにしたくなるものです。
ヒトラーは独裁者ですがナチスはクーデターではなく選挙で政権を取りました。
他ならぬ国民の意思がナチスを選んだのです。
日本は今どうでしょうか?
数十年にわたる経済不況の中で、どこそこの国が悪いからだとか、在日の外国人が悪いからだとか、そういう敵意が芽生えることはないでしょうか。
日本人は周りの空気に流されやすく、また組織の命令に従順だとはよく言われることです。
ナチスドイツが行った大量虐殺に対してぼくたちは、自分たちとは縁もゆかりもない遠い国の出来事としてどこか距離を置いて見ていますが、本当に自分たちと何の関係もないと言い切ることができるでしょうか。
「このような悲劇を二度と繰り返してはならない」というのは実に簡単ですが、自分とは異なる存在に対する恨みつらみこそがこのような悲劇を引き起こし得ることを改めて認識し、今回は終えることとします。
今一つまとまりがなく読みにくい文章となり恐縮ですが、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れて感じたことでした。
今回の投稿は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
2023年3月17日 ポーランド・アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所にて
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