#100 エベレストトレッキングで感じたこと ネパール(11)

ネパール

こんにちは。にしきよです。
本日もよろしくお願いします。

今回はおよそ2週間にわたったエベレストトレッキングで思ったこと感じたことをまとめていきたいと思います。以前の日記とかぶる部分も多々あるかと思いますがどうぞよろしくおねがいします。

今回の内容です↓
1.エベレストトレッキング、どうだった?
2.ぼくらは誰かに支えられている
3.死に近づき生を感じる
4.あの日常が幸せだった


1.エベレストトレッキング、どうだった?

まず最初は、今回のエベレストトレッキング、やってみてどうだったかの感想をざっくりと述べたいと思います。

ずばり、


行って良かったと思います。


心の底から行って良かったと思います。

実のところを言いますと、当初はあまり乗り気ではありませんでした。
カトマンズでトレッキングの準備をしている段階で、買い揃えるべき物が多すぎることやかかる費用と時間が大きすぎることで、もはややめてしまおうかと思ったほどです。

トレッキングから帰ってきた今となってはあの時やめなくて本当に良かったと思います。
思い切って決断したあの時の自分グッジョブです。

漠然と良かった良かったと言うばかりで具体的に何が良かったかという話ですが、
ヒマラヤの雄大な景色だったり、エベレストベースキャンプに到達した時の達成感というのももちろんあるのですが、
個人的には、トレッキングの途中途中で様々なことを感じれたことが良かったと思っています。

今回はトレッキング中に思ったこと感じたことを一部紹介していこうと思います。
写真があまりなく文字ばかりで面白みがないかもしれませんがお付き合いいただけましたら幸いです。

2.ぼくらは誰かに支えられている

前回の日記で全く同じことを書いたのですが、
エベレストトレッキングで最も心に残ったことは何だったかと聞かれたとき、ぼくの中でそれはポーターさんの存在でした。

彼らとは毎日のようにすれ違い、同じ階段を追い越し追いこされながら一緒に歩いていました。
いちいちブログに載せることはしなかったのですが、一日にそれこそ何百人と目にしてきたと思います。

山奥にも関わらずぼくら観光客が食べ物にありつけ、暖かく過ごすことができるのはすべて彼らおかげです。彼らが毎日、100キロにおよぶ荷物を背負い、ペラペラの靴で不安定な岩場を黙々と登ってくれているおかげです。本当に感謝と尊敬が止まりません。

しかしふと考えてみると、ぼくたちの普段の生活でもこれと同じことが起こっているのではないかと思いました。

例えばぼくが外食をする時のことを考えても、
野菜を作った農家さんがいて、あるいは肉を加工する酪農家の方がいて、それを売る人がいて、できたものを運ぶ人がいて、さらには食べる直前に調理してくれる人がいる。

たった1,000円の外食であってもそこには大勢の人が関わっていて、その労力は自分だけではとてもできるものではありません。
本来であればお金を払っておしまい、お金を払ったんだからいいだろ、というわけにはいかないはずです。

今回のトレッキングでは、ポーターさんという、ぼくたちトレッカーの寝食を支えてくれている見えやすい存在がいてくれたおかげで、常に感謝の気持ちを持ってサービスを受けることができました。

資本主義が浸透したぼくたちの社会においては、(それが良いことかどうかの議論は避けますが)暮らしを陰で支える人たちの存在が見えにくくなっていると思います。サービスに感謝する意識を忘れやすくなっていると思います。

日本のギスギスした空気は人に感謝することが少なくなったことが一つの原因なのではないでしょうか。

ぼくたちは誰かに支えられている

見えにくいだけで、普段自分が食べているもの、使っているもの、受けているサービスの陰には多くの”ポーターさん”がいるという意識をみんなが少しでも持とうとすれば、日本の社会も他者に感謝できる心地良いものに変わるのではないかと思いました。

3.死に近づき生を感じる


これはトレッキング後半、ディンボチェからロブチェの間、エベレスト登山で亡くなった登山者たちの名前と写真が残されてる「シェルパと登山者の慰霊碑」で感じたことです。

登山に生き、登山に亡くなった彼ら。
何が彼らをそこまで引き付けたのだろうかと不思議に思いましたが、今ならほんの少し彼らの気持ちがわかるような気がします。

その美しさと裏腹に、山は生き物を寄せ付けない死の世界です。
だからこそなのかもしれませんが、この環境では自分が生きていることを普段より強く意識するのです。
薄い空気を必死に呼吸しその音を感じる、
ジャケットから漏れ出る暖かい空気に自分の体が燃えていることを感じる。

インドのガンジス川で火葬を眺めていた時も同じことを感じましたが、死に近づくと自分が生きていることをより強く実感でき、また、生きていることのありがたさを感じます。

死に近づき生を感じる

映画監督の北野武が若いころにバイク事故で生死の淵をさまよい、一命をとりとめた後、自分の生について真剣に考えたという話は有名です。
ぼくの場合はそれほど極端に死に肉薄したわけではないですが、それでも普段の生活よりは死に近づき、そして生きていることのありがたさを感じることができました。

他人に対して気軽に「一度は死に近づく体験をしてみるといいよ」などとはさすがに勧められませんが、少なくとも自分にとっては死に近づいて生を実感した体験というのは今後の人生を色濃くしてくれるものではないかと思っています。

4.あの日常が幸せだった


これはトレッキングから帰ってきた後のカトマンズで感じたことです。

12日ぶりのシャワーを浴びている時、日本食を食べている時、暖かい布団で眠れる時、
バカみたいに思われるかもしれませんが、こんなに幸せなことがあるのか、と心底感動しました。

普段日本にいた時は忘れていましたが、毎日シャワーを浴びれること、おいしいご飯をお腹いっぱい食べれること、暖かい布団で眠れること、ついでに言うと電気やWiFiが何不自由なく使えることも非常に有り難いことなのだと気付きました。
少なくとも発展途上の国に暮らす人でこれらすべてを持っている人は稀です。

ぼくたちは社会から、足りないものを意識させられ、足りないことを恥と思わされ、
そして足りないことをいつまでも嘆き続けて勝手に不幸になっているような気がします。

自分に足りないものを数えて嘆くよりも、自分が持っているものに目を向けてありがたいと思う方がよっぽど有意義だと思います。

エベレストトレッキングの期間は物質的に不便でしたが、普段の自分の生活がいかに恵まれていたか、幸せなことだったかを考える良い機会になりました。

普段何気なく過ごしていたあの日常が幸せだった

そのような考え方をできるようになったのは、トレッキングをすることによって得られた思わぬプレゼントだったのかなと思います。

・・・・・・

以上、今回のエベレストトレッキングを通して思ったこと、感じたことでした。
実際にはもっと多くのことを考えたのですがとっ散らかりそうなのでこのへんにしときます。
文章だけの内容に関わらず最後までお付き合いいただきありがとうございました。

最後にもう一度、

エベレストトレッキング、最高でした!

一生に一度の経験と思いながら登っていましたが、年を取った後にもう一度登りたいなとも思います。
様々な人生経験を積んだ後で登るとまた別の景色が見えるかもしれませんね。
残りの人生のやることリストに加えておきましょうかね。

・・・・・・

さて!ネパール編はここまで!
バスで移動し、次回からは再びインド編に入っていきます!

素晴らしかったヒマラヤトレッキングを終え、再び入国したインドで待っていたものとは??
引き続きにしきよさんの旅にお付き合いください。

今回の投稿は以上です!
最後まで読んでいただきダンニャワードでした!

2022年11月 ネパール・ヒマラヤトレッキングにて

コメント

  1. 石川博久 より:

    楽しく見さしてもらいました。
    飾らない言葉で、素直に感じたままに伝えているにが、素敵ですね。
    私も今年の10月末にカラパタール、ゴキョにポータ雇わす行く予定です。
    ポータを雇ってシェルパさんに感謝も考えましたが、出来るだけ一人でと思っており、無理そうならロッジに人から紹介してもらおうと思っています。
    質問ですが、ロッジは予約なしでも泊まれましたか?各村では何軒回って泊まれましたか?
    行った時期でのロッジの混雑状況はどうでしたか?

    • nishikiyo nishikiyo より:

      コメントありがとうございます(^^)
      ロッジは予約なしでも泊まれましたよ。ぼくが行ったのは11月のハイシーズンでしたが泊れなくなるほど混雑するということはなさそうです。
      楽しいトレッキングになりますように!

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